東京駅周辺で終電を逃した、出張・旅行・就職活動で東京に行く予定がある、といった人たちの中で旅行の場合には高級ホテルを選ぶ人もいるかもしれませんが、それ以外だとやはり格安ホテルに泊まりたいのではないでしょうか。
東京駅周辺にも格安で泊まれるホテルはありますので、それについて書いていきます。

東京駅から徒歩圏内で格安ホテルというと「相鉄フレッサイン東京京橋」というビジネスホテルがおすすめです。
東京駅からは徒歩で数分で行けてホテルのすぐ横にはコンビニもある便利な立地のホテルです。
それでいて周辺のホテルよりも安めの価格設定です。
東京駅直結のホテルに「東京ステーションホテル」、「ホテルメトロポリタン丸の内」というホテルがあるのですがどちらも高級ホテルです。
しかし、ほんの数分歩くだけで「相鉄フレッサイン東京京橋」のような格安ホテルがあるので、値段重視の人には「相鉄フレッサイン東京京橋」はとてもいいと思います。
ネットで予約する場合にはじゃらんだと様々な宿泊プランの中から自分に合ったプランが選べるので便利です。
例えば「女性専用レディースプラン」とか「赤ちゃんと一緒に泊まるプラン」とかそういった宿泊プランがたくさんあります。
他の宿泊予約サイトだとまた違ってくる場合もあるので注意してください。

「相鉄フレッサイン東京京橋」と比べると少し歩く時間が増えますが「センターホテル東京」というホテルも東京駅から徒歩10分で行ける格安ホテルです。
こちらはじゃらんでもそれほど多くの宿泊プランは無かったと思いますが、出張などで「部屋とベッドさえあればそれでいい」というような人には特に不満はないと思います。

もっと安く泊まるにはカプセルホテルを使うという手もありますが、ちゃんとした部屋があるビジネスホテルだとこの二つがいいと思います。

参考:東京駅周辺 ビジネスホテル 安い

シミ用の化粧品について書きますが、ファンデーションのようにシミを隠す化粧品ではなくシミを薄くするために使う化粧品についてです。
「化粧品なんかで本当にシミが薄くなるの?」という疑問が浮かぶかもしれませんが、ネットで調べてみた限り同じ商品でも「薄くなった」という意見と「変化なし」という意見が混ざっていて、私の個人的な意見としては「過度な期待はしない方がいい」という結論に至りました。

そうなると今度は「だったら使う意味がないのでは?」という意見が出てくるかもしれません。
シミを薄くする手段というのはそんなに数多くあるわけではなく、化粧品以外だと専門のクリニックでレーザー照射を受けたり、病院の皮膚科の薬頼りになると思います。
しかしそれらの方法に抵抗がある人も少なくないはずです。
怖いとか料金面の問題だったりいろいろと不安があるはずです。
「そこまで深刻にシミに悩んでいるわけではないけど、薄くなったらうれしいなー」くらいの人はとくにそうだと思います。

シミ用の化粧品はそういった人が自分だけで気軽に試してみる分にはアリだと思っています。
もし少しでもシミが薄くなれば成功ですし、ダメならダメでレーザー治療を本格的に検討すればいいわけですから。
何もせずにただ悩んでいるよりかは試してみることに意味はあると思います。

シミを薄くするために使う化粧品には大きく分けて2種類あります。
ハイドロキノンが配合されている化粧品とそうではない化粧品です。
ハイドロキノンは昔は化粧品には使用できないように規制されていましたが、今は規制が緩和されて多くのシミ用化粧品に配合されています。
しかし、過去に規制されていただけあって肌への影響は強いので使用上の注意を必ず守る必要があります。
肌に合っていないのに無理に使い続けたり、使用上の注意を無視して使うと白斑という肌の色が抜ける症状が出ることもあります。

使用上の注意として、例えばハイドロキノン配合化粧品を使用している期間中は、いつも以上に紫外線に対するケアを心がける必要があります。
日傘や帽子、日焼け止めを使って紫外線をカットするということです。
また、昼間にシミ用化粧品を塗って外出するのではなく、自宅に帰ってきてから紫外線の弱くなった夜に使った方がいいです。
室内にいても紫外線の影響はありますからね。

「まずはハイドロキノンが入っていない化粧品を試してみたい」という人は下記のサイトで紹介されているブライトニングフォーミュラを試してみてはどうでしょうか。
http://xn--t8j4aa4n6jiiv30tv1cpw8j.com/
(シミ 化粧品)

テスト投稿 Sweet pain

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 三十五年ぶりで郷里に帰り、ついこのごろになって帰京した。
 沖縄での滞在期間一ヵ月に限られているところの岸信介大臣の証明する身分証明を懐にして行ったのであるが、沖縄へ行ってみると、色々の事情が次から次へとできて、さらに現地での滞在を一ヵ月のばしてもらって満二ヵ月を過し、往復ともに一ヵ月半ほどで東京に舞い戻ったわけである。
 三十五年ぶりに郷里へ帰るとはいっても、なにもその三十五年ぶりを、ぼく自身が特に強調したのではなかったのであるが、何年ぶりの帰郷なのかと相手にきかれるので、そのように答えたまでのことなのであった。しかし、沖縄が、現代の国際情勢のもとで、世界の注目するところのものであることから、沖縄出身のぼくのことまでが、自然周囲のうわさにのぼったにちがいない。それに、貧乏詩人だということまでが手伝ってのこともあって、盛大な歓送会があったり、餞別にしては世間をびっくりさせた程のものをいただいたり、おまけに、新聞、雑誌の上でも騒がれたのである。こんなことが、沖縄の現地にも強く響きわたったのかも知れない。
 那覇の泊港に船が横づけになった

 ところがここはまるっきり、便所の中とは世界が違っていた。僕には、総ての物が眼の球のある物のように思われ、しゃがんでいる真下の水の音までが気になり出して、一向落ち着くことが出来なかった。僕は幾度も幾度も、水の音だから構うもんかというように自分に言いきかせては思い力み、努めて平気な面を装うて下腹に力をいれたりするんだが、そのうちに曳船のポンポンの音がきこえて来て、ついに目的を果すことが出来なかった。どうしても駄目なんだ。と、六さんに僕は訴えたが、六さんに言わせると、人間じゃないというのだった。
 事実、この世界の生活者達は、老若男女、夜であろうがひるまだろうが、僕みたいな者が物珍らしく見ていようが、生理のためには、悠々と船端にしゃがんでいる彼等である。いつになったら僕も便秘をしなくなるだろう。

 装幀のことについてはいろいろと迷ってしまった。誰かに頼んでも、万一、本になって自分の気にいらないものになっては、見るたんびにいやなおもいをしなくてはならないわけだと、最悪のことばかりが気になったのである。そこで、自分で責任を負うことにして、たとえ失敗しても自業自得ですませたく、人のせいにはしなくともすむように自分の考えで装幀したのである。表紙の色は、朱のつもりなのであったが、赤になってしまった。自業自得である。唐獅子の絵は兄に描いてもらった。朱は、ぼくの郷愁の色である。那覇の朱い屋根屋根には、漆喰の唐獅子が住んでいたからなので、云わば郷愁で装幀をしたわけなのである。兄は無名の画家で、小学校の教師をしていた。『思弁の苑』が出たとき、まっさきによろこんでくれたのはその兄で、かれは父や母に対しても、ぼくのことをかばったり鞭撻したりしていたからなのである。それに、序詩、序文の佐藤春夫、金子光晴の両氏に並べて、表紙絵を山口重慶として兄の名を記しておいたので、有名人と名を並べられたことに兄は非常に名誉を感じていた。